夜八時、真奈美と上重は車で帰宅した。
朝一緒に出勤し、夜娘と共に帰って来る刑事などまずいない。
仕事にならないからだ。
それでもあらゆる困難を排除して、上重はそれを実行していた。
当たり前の刑事なら、とっくにクビか転属になっているだろう。
上重は仕事ができた。
相棒の堺もよくそれをカバーした。
捜査の時、真奈美は必ず上重に同行したが、どうしても無理な時は本署にいた。
警察署は託児所ではないのだ。
当然、署長や幹部、同僚から苦情が出る。
十二才の娘を連れて出勤する刑事など非常識すぎる。
しかし、署長は上重を移動させられることはできなかった。
有能で彼に代わる者がいないからだ。
有能すぎるが故に問題もあった。
彼の妻が自宅で殺されたなども、その問題の最悪のケースだった。
妻と共に家にいた真奈美も被害者だった。
そんなこともあって、署で上重は特別な存在だった。
なくてはならない刑事だった。
上着を壁のハンガーにかけ、上重はソファーに座った。
「今日は疲れたろう。ラーメンの出前でも取ろうか」
真奈美はもうキッチンで料理にかかっていた。
「今日はカレーの気分。真奈美カレーを作る」
「うん、それならパパも食いたい」
冷蔵庫から材料を出しながら真奈美が言った。
「今日のサングラス男、どうなった」
「どうもならん」
忌々しそうに上重が吐き捨てた。
「遺体なし、証拠なし、目撃者なし、該当者なし・・・釈放するしかない」
「当たり前よ。絶対にそんなバカをやる刑事いない」
「だが俺には臭う!あれは殺ってる!」
「どこの誰を、いつどんな手口で殺したか、わかんきゃ事件にできない」
「くそ!せめて遺体だけでも手に入れば!」
真奈美は手早くジャガイモの皮をむき、大ぶりに切っていく。
これが真奈美カレーだった。
ジャガイモは必ず二種類に切る。
小さな賽の目と、ばかでかいやつだ。
賽の目は煮込むうちに溶けてしまい、馬鹿でかいやつが残る。
人参を切り、玉ねぎを切る。
鍋を火にかけて油を落とす。
具材の野菜すべてを入れ、よく炒める。
最後に一口大に切った豚肉を入れる。
そのころは部屋の中にいい匂いがしている。
北海道生まれの上重と彼に育てられた真奈美は、大のジャガイモ好きだった。
でかいジャガイモがゴロゴロ入ってないカレーなど、二人にとってカレーではない。
仕上げにカレーのルーを入れると、あとは弱火で煮込むだけだ。
カレーと同じように大きなジャガイモの入ったシチューも、二人の大好物だった。
これが二人を繋ぐ絆と言ってよかった。
他に共通点など何もない。
一週間に一度真奈美は必ず真奈美カレー日を作った。
これを楽しみに上重は帰って来た。
街のカレー屋のカレーなど、彼は見向きもしなかった。
カレーが出来上がり、真奈美が食卓の用意をしていると上重の携帯が鳴った。
すでに食卓に座っていた上重は立ち上がって、上着から携帯をとった。
「なんだ!」
今頃、自分を追うように署から来る電話は、ろくなことがない。
突然、上重が大声を出した。
「なんだとォ!!」
カレー鍋を食卓へ持ってきた真奈美の手が止まった。
「どこだ!」
携帯をしまいながら、上着を手に玄関へ走る。
真奈美も鍋をテーブルへ置いて後を追う。
「来るな!」
上重が本気で怒っていた。
堺のことだ!こんなに怒り狂うからには・・・彼が死んだんだ。
上重は玄関を飛び出し、車に飛び乗った。
ドアへ走る真奈美を置き去りにして、車を急発進させた。
真奈美はそのまま車を追って走り出した。
猛スピードを上げた車は見る見る遠ざかる。
それでも真奈美は走った。
走りながら泣いていた。
堺に何が起きたかわからない。
だが、涙が溢れて仕方なかった。
泣きながら見えなくなった上重の車を、必死で追った。