私たちの結婚は久美の両親、とくに父親が絶望的に反対だった。
だが、私も久美も諦めなかった。
いざとなったら駆け落ちや、実家と縁を切るまでだ!
最後の最後までねばるしかない。
久美の父が会社の部下との縁談を持ってきたことで、事態は一挙に動き出した。
母がその部下に好感を持ったのだ。
部下が頻繁に久美の家へくるようになった。
久美の家の家族の扱いだったが、私は家へ近づくことさえ許されなかった。
久美は一人娘である。
両親の期待に応えてやりたい、と思うのは当然だった。
彼女のそうした優しい性格を、私は分かり過ぎるほど分かっていた。
最大の問題は私が久美より三才も年下で、まだ大学生だと言うことだ。
こればかりはどうしようもない。
大学はすぐやめるが、年齢差は変えられない。
父の部下は彼女より三才年上だった。
大学が父の後輩だと言うことも、この話を勢いづけていた。
縁談の話が具体的に進むにつれ、久美と私の心は重くなった。
そして、ついに彼女はあのことを言い出した!!
私と結婚するために、両親を納得させるために、
部下の男との結婚を承諾すると言うのである。
三年後に必ず離婚し、私の元へ戻って来ると言うのだ。
これは偽装結婚であり、相手の人生を踏みにじることである。
部下の男には何の落ち度もないのだ。
第一、そんな計算通りにいくものなのか。
私は断固として反対した!
久美と結婚したいのは山々だが、我々のために被害者を出してはならないのだ。
それは犯罪であり、取り返しのつかない事態を招くことになる。
久美はすでに部下の男と、何度かデートを重ねていた。
男は取締役の父の娘が狙いであることは、明らかだった。
久美もそれを見抜いていた。
出世のための上役の娘と結婚なら、それが破綻に終わっても良心は痛まない。
と、久美は必死で私を説得した。
三年で男との結婚を必ず終わらせ、きっと戻って来ると!
両親を満足させ私との結婚を成就させるには、本当にそれしか道はないのか。
これで傷つくのは部下の男だけではない。
久美も私も、無傷でいられるはずがない。
どのような恐ろしい傷を負うのか、今の段階では見当も付かない。
つかないから怖いのだ!!
半年後の三月、久美は半ば私を押し切る形で部下の男と挙式した。
必ず久美が三年以内に結婚を破綻させる。
それまで携帯はもちろん、一切の連絡を取らないことを私たちは約束した。
会えなくても、お互いを信じるしかなかった。
辛かった!本当に辛かった!!
大学をやめた。
三年後の久美との結婚に備えなければならない。
広告コピーを教える学校へ入学した。
そこで私は昼間バイトをして、夜懸命に勉強した。
久美との結婚を考えたら、どんな苦労にも耐えられた。
彼女を迎える準備を完璧にしようと思った。
私の計画は順調に進んだ。
広告コピーと言う仕事が向いていたのか、
学校に在校したまま広告代理店の制作部に入ることが出来た。
一年が経ち、さらに二年目が過ぎた。
久美を妻として迎えても恥ずかしくないグレードのマンションを、ローンで手に入れた。
彼女からの連絡は一切なかった。
私も連絡しなかった。
スマホの電番号以外、久美の新婚の住所自体を私は知らなかった。
彼女を信じるしかなかった。
それは久美も同じだろう。
私は制作部チーム責任者のコピーディレクターになっていた。
もう久美との生活を、経済的に十分維持できる。
久美を迎える準備は完了した。
彼女との約束の日まで、あと三ヶ月。
二ヶ月を切ったある夜、玄関でチャイムが鳴った。
出て見ると、なんとそこにはスーパーの袋を抱えた久美が笑顔で立っていた。
おどろく私!
以前より若くなった彼女は、勝手に上がってキッチンへ向かった。
「思ったより、きれいにしてるじゃん」
久美は言った。
「どうしてここが分かった!」
聞く私に、
「調査会社使ってちゃんと調べたもん」
キッチンで、買って来た食材で料理を作るつもりらしい。
「そんなことはいい。顔を見せろよ!」
私は嬉しさで、座ってなどいられなかった。
立ち上がろうとしたとたん、また玄関チャイムが鳴った。
玄関ドアを開ける私。
久美の母が立っていた。
「お義母さん・・・!」
私は思わず奥のキッチンを振り返った。
物音はしない。
私は母親が来ているのに、なぜ久美が顔を見せないのか不思議だった。
キッチンへ行ってみた。
・・・いなかった!
持っていたスーパーの紙袋もなかった。
私は呆然と立ちすくんだ。
玄関の母が言った。
「主人を車に待たせておりますので、用件だけで失礼します」
母が何を言いに来たのか、私は直感的に分かった。
「娘は昨夜亡くなりました。自殺でした。あなた宛ての遺書を持って参りました」
私は動けなかった。
母は私が受け取らない遺書を、下駄箱の上に置いた。
「娘が生前あなたと何をお約束したか存じませんが、すべてお忘れください」
一礼して母親は玄関を出て行った。
昨夜自殺したのなら、葬儀はいつだろう。
両親は私が葬儀へ行くのを拒否していた。
遺書をキッチンで読んだ。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい!あなたとの約束を果たせない!夫に好意を抱いてしまっ
たのです。本当にごめんなさい。今の私は、この家を出られない。でも三年間、毎日あなた
のことを想っていました。
あなたの元へ行けず、夫とも添えない私はどうしたらいいのか。
でも、あなたに会いたい!会いたい!会いたい!一目でいいから、あなたに会いたい!!あな
たに会いに、今すぐにでも飛んで行きたい!」
切なかった!
久美の提案に、見当もつかない恐ろしさを予感したのはこのことだったのだ!
遺書を読みながら、私は声を殺して泣いた。
涙が止まらなかった。
久美、謝ることはないんだ。
共に暮らし、予期せぬ激情に襲われるのは当たり前だ。
二人は夫婦なのだから!
「ですが、私はこれから永遠にあなたのおそばにいます。片時もあなたから離れません。あな
たと離れては絶対にいけなかったことを、愚かな私は今悟りました。あなたのお側にいるため
に、永遠にあなたの元へ戻るために、私は死を選びます!」
久美の現れた意味が分かった。
死んで、私の元へ戻って来てくれたのだ!
私は手紙を手にしたまま、眼をつむって久美に語りかけた。
「ありがとう、久美!幽霊でもいい、まぼろしでもいい。私の側に居ろ!」
それから私と久美の生活が始まった。
私以外に久美の姿は見えない。
久美は亡霊である。
私が死んでも、二人は永遠に一緒なのだ!